2010年11月23日 08:09
産んでからの波乱---病気再発と社会復帰
食改善による、体温・血圧の正常化で妊娠
という内容の記事を以前書き、
その続きを書いてきました。
最初の記事で、
産まれるまでも波乱、
産むときも波乱、
産んでからも波乱
と書きました。
今日は、「産んでからの波乱」について書きます。
5年10ヶ月前の話です。
-----出産時のストレスで再発
出産した次の日から、腹痛と激しい下痢が始まりました。
出産時のストレスが原因の潰瘍性大腸炎の再発でした。
胃腸科の医師への紹介状を渡されて、
産科退院後すぐに行ってきました。
胃腸専門の大きな病院でした。
薬にたよらない、と決めている以上、
行ってどうなるものでもなかったのですが、
その薬が母乳に影響がないなら
少しだけ飲んで、苦痛から解放されたい、と思っていました。
医師は、深刻な顔で言いました。
「非常に悪い状態ですので、すぐ、今日にでも入院してください。
このままでは衰弱してしまいますし、
これ以上悪化したら腸をきりとって人口肛門にするしか
なくなってしまいます」と。
見るからにベテラン医師で、熱い感じの院長先生でした。
-----どうしても子どもと離れたくない
私が「子どもが1週間前に生まれたばかりなので、
なんとか入院はせずに・・・」と言うと
院長先生は、目をむきだすように怒りをこめて
忠告してくれました。
「気持ちはわかりますけど、
お子さんは、あなたのお母さんに育ててもらえばいいでしょう!
自分の身体のことなんだと思ってるんですか。
とにかく、お母さんと話つけて、明日また来て」
と急に怒ってしまいました。
患者を思って熱くなってしまったのだと思いますが、
勢いに押されて泣きそうになって診察室を出ました。
確かに、息子は母に育ててもらえばいいことであり、
母もそのゆとりがあるので、
お願いすれば快く引き受けてくれることが容易に想像できました。
しかし・・・
身体が弱っているにもかかわらず、
どうしても子どもと離れたくない、
どうしても自分で育てたいと、強気の思いで、
まったく迷いはありませんでした。
(自分で育てるとはいっても
大変周囲のお世話になるので“自分で育てて”いるうちに
入らないんですが・・・)
入院せずに、また食事療法を一からやりなおすことに決めました。
-----人間である前に“哺乳類”
とはいえ、食べた物の流出がひどく、
腹痛も眠れないくらいのレベルで、
なにも吸収されていない感じでした。
なので、大豆の粉と、発酵玄米の粉を
お湯で溶いたものを1日3杯だけ飲むことで
スタートしました。
それだけしか口に入れていないのに、
母乳がじゃんじゃん出て、
自分が人間である前に“哺乳類”であることを
非常に感じた1ヶ月でした。
おかげで息子はすくすくと育っていきました。
おまけに生まれたときから7~8時間とおしで
眠ってくれて、まったく夜泣きなし。
それにはほんとうに、ずいぶん救われました。
息子が健康でいてくれたら、
自分の身体がつらいことなど大したことないな
と寝顔をみながら思いました。
(寝顔を見すぎて、一時は近視になったくらいです。)
-----思いは「社会復帰」へまっしぐら
とはいえ、毎日おなかが痛くて痛くて、
辛くてげっそりしておりました。
でも、思いは「社会復帰」へまっしぐらでした。
「絶対治す!」と誓っていました。
仕事は、スタッフとの携帯メールのやりとりで
つないでいました。
出産してすぐメールのやりとりはしていましたが
病気のことは知らせても特に意味はないばかりか
不安にさせてもいけないので、なにも知らせませんでした。
そもそも、自分の中では、「1ヶ月で治る!」と
勝手に決めていたのです。
つづく・・・
-----------------------------------------
という内容の記事を以前書き、
その続きを書いてきました。
最初の記事で、
産まれるまでも波乱、
産むときも波乱、
産んでからも波乱
と書きました。
今日は、「産んでからの波乱」について書きます。
5年10ヶ月前の話です。
-----出産時のストレスで再発
出産した次の日から、腹痛と激しい下痢が始まりました。
出産時のストレスが原因の潰瘍性大腸炎の再発でした。
胃腸科の医師への紹介状を渡されて、
産科退院後すぐに行ってきました。
胃腸専門の大きな病院でした。
薬にたよらない、と決めている以上、
行ってどうなるものでもなかったのですが、
その薬が母乳に影響がないなら
少しだけ飲んで、苦痛から解放されたい、と思っていました。
医師は、深刻な顔で言いました。
「非常に悪い状態ですので、すぐ、今日にでも入院してください。
このままでは衰弱してしまいますし、
これ以上悪化したら腸をきりとって人口肛門にするしか
なくなってしまいます」と。
見るからにベテラン医師で、熱い感じの院長先生でした。
-----どうしても子どもと離れたくない
私が「子どもが1週間前に生まれたばかりなので、
なんとか入院はせずに・・・」と言うと
院長先生は、目をむきだすように怒りをこめて
忠告してくれました。
「気持ちはわかりますけど、
お子さんは、あなたのお母さんに育ててもらえばいいでしょう!
自分の身体のことなんだと思ってるんですか。
とにかく、お母さんと話つけて、明日また来て」
と急に怒ってしまいました。
患者を思って熱くなってしまったのだと思いますが、
勢いに押されて泣きそうになって診察室を出ました。
確かに、息子は母に育ててもらえばいいことであり、
母もそのゆとりがあるので、
お願いすれば快く引き受けてくれることが容易に想像できました。
しかし・・・
身体が弱っているにもかかわらず、
どうしても子どもと離れたくない、
どうしても自分で育てたいと、強気の思いで、
まったく迷いはありませんでした。
(自分で育てるとはいっても
大変周囲のお世話になるので“自分で育てて”いるうちに
入らないんですが・・・)
入院せずに、また食事療法を一からやりなおすことに決めました。
-----人間である前に“哺乳類”
とはいえ、食べた物の流出がひどく、
腹痛も眠れないくらいのレベルで、
なにも吸収されていない感じでした。
なので、大豆の粉と、発酵玄米の粉を
お湯で溶いたものを1日3杯だけ飲むことで
スタートしました。
それだけしか口に入れていないのに、
母乳がじゃんじゃん出て、
自分が人間である前に“哺乳類”であることを
非常に感じた1ヶ月でした。
おかげで息子はすくすくと育っていきました。
おまけに生まれたときから7~8時間とおしで
眠ってくれて、まったく夜泣きなし。
それにはほんとうに、ずいぶん救われました。
息子が健康でいてくれたら、
自分の身体がつらいことなど大したことないな
と寝顔をみながら思いました。
(寝顔を見すぎて、一時は近視になったくらいです。)
-----思いは「社会復帰」へまっしぐら
とはいえ、毎日おなかが痛くて痛くて、
辛くてげっそりしておりました。
でも、思いは「社会復帰」へまっしぐらでした。
「絶対治す!」と誓っていました。
仕事は、スタッフとの携帯メールのやりとりで
つないでいました。
出産してすぐメールのやりとりはしていましたが
病気のことは知らせても特に意味はないばかりか
不安にさせてもいけないので、なにも知らせませんでした。
そもそも、自分の中では、「1ヶ月で治る!」と
勝手に決めていたのです。
つづく・・・
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▼夢農人の立ち上げの背景
その他の記事
(1)飢えていた・幸せは食卓にあり
(2)食べ物に思いを馳せる
(3)難病を発症
(4)極度のネガティブから・・・
(5)国産を食べるという食事療法
(6)発信する使命感
(7)産まれるまでの波乱
▼番外編
広告屋になった理由
妊婦になっても仕事命
産むときの波乱---37時間の恐怖
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
うちの社長も自分で「たいしたことない」とか
「すぐ治る」とか・・・
たまに動けなくなっても電話やらメールやらで大忙し!
身体を休めることもせず・・・病院のいくつもの科に
かかることになってしまい、今では仕事と病院通いに
更に自分を忙しくしてしまっている。
二人とも・・・たまには自分を甘やかしてください。
たまには怠けてください。
お返事遅くなってすみません。
ファインテック社長、
かなりストイックですね!
仕事と病院通いに忙しく・・・?!
ぜひいい意味で「甘やかして」「怠けて」
いただきたいですー。
よろしくお伝えください。
あ、わたしも身体大事にします。
ありがとうございます。