広告屋になった理由

ルーコ 井上美穂

2010年11月12日 08:06

2記事分、夢農人立ち上げの背景を書き
それと話はそれますが・・・

ちなみに・・・

私が広告代理店を経営していることも、
もとを正せば、
実は、食べ物のこと
に由来しています。

幼少時代に飢えていたことを
先日書きました
が、
小学生のときに見ていたテレビ番組
「なるほど! ザ・ワールド」
広告の道、というか、
その前段階の「書く仕事」に入っていく
きっかけでした。

レポーターの「ひょうきん ゆみ」さんが、
(懐かしいですね~、「ひょうきん ゆみ」)
世界各地に行って
何かを楽しそうに食べて
レポートしているところを
毎度毎度見ていて、
ほんとうに憧れました。

(そもそも、とても貧しかった私のうちに
テレビというものが登場したことも鮮烈でした)

何に憧れたかって・・・
「世界中食べてまわれるレポーターという仕事」
「お金を得て食べるのではなく、
食べてお金を得ることができるなんて、すばらしい!」

いつもお腹がすいていた小学生の私は、そう思ったのでした。

すばらしく短絡的な発想・・・。

(グルメ番組ではないので、
実際には食べてばかりではないのですが、
食べている印象だけが残りました)

世界中食べてまわってレポートするなんて
すさまじく大変なお仕事だと
今では容易に想像できますが・・・。


その「世界中を食べてまわる仕事」の夢は、大学生のときまで続き、
なんでもいいからまずはテレビ局に関われる
ところにいよう
と決めていました。

そうしたところ、大学3年のときに、
TBSテレビでお天気キャスターをしていた
(今もしています)
森田正光さんの事務所
東京新聞などで、
気象予報士になる人を
募集していて、応募しました。

テレビ局に関われる、というだけの動機であり、
在学中からテレビ局に近づいておこうという魂胆で、
気象予報士にもお天気キャスターにも
なりたかったわけではありませんでした。
自分のようなものがなれるものではありませんし。

自己PRの紙面が大変おもしろかった
と評価していただき、
お天気キャスター志望の
とても、大変、非常にきれいなお姉さん方に混じって、
完全に毛色が違う私は、ライターとして採用されました。

応募者約600名中、採用は7人で
何かを書かせてみよう、という理由で採用されたのは
私1人だったそうです。

本当の採用枠は6人で、
おまけで採用していただいたかたちです。

森田さんの会社に所属し、
TBSテレビの報道局に勤務して
森田さんがしゃべる内容、
本として書く内容の
企画・リサーチをやらせていただきました。
森田さんの言葉やトークの素案を毎日書いてました。

森田さんの絶妙なトークや文才で、
私の未熟な素案はみごとにおもしろくなって仕上がり、
本当にいろんな勉強をさせていただくことが
できました。

書くことに関して、
褒めちぎられ続けた2年間でした。
褒め育て、の森田さんでした。
(人の性格によって育て方を
変えていたと思います)

そうして、レポーターではなく
人に代わって書く、ことを仕事にしたいと
思うようになりました。
社交性がなく地味な性質の自分には、
とてもやりがいがありました。

自分が輝くのではなく、人に輝いていただく
というのは、今ルーコで行っている
お客様に輝いていただくことであり、
(成果を出していただく、成功していただく
ことであり)
それがやりがいです。



森田さんに褒められ続けたおかげで、
「食べたい」という
生理的欲求にもとづくモチベーションから脱し
仕事に魅力を感じるようになりました。

自分が書いたもので人が喜ぶ
ということがモチベーションになりました。

あとから思えば、
書くことでレポートする、伝える、
お客様に代わって書く・表現する
という広告の仕事(広告代理)に就いていることは、
かたちは違いますが、
小さな頃の夢を実現しているのかもしれない
と思うのです。

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