体罰に勝て.4
前回の記事で・・・
授業に出ずにある教室にひそんでボイコットを決行し
そのままなかなか動き出せずにいたら、担任の先生が来てしまった、
というところまで書きました。
計画どおりにいかなかった体罰授業のボイコット。
担任の先生にでもなく、職員室でもなく、校長室に行って
校長先生に訴える計画だったのに、
「いったいどうしたの?!」と、ものすごく驚いて、あせっている様子の
担任の先生が現れたのでした。
結局担任の先生に理由を話さざるを得ませんでした。
「言っておくから、次から授業は出なさい」というようなことでした。
特に達成感を目指してやるようなことでもありませんが、
気持ちは
不完全燃焼。
何も変えることができないかもしれない
ますます体罰・暴力が激しくなるかもしれない、
高校にいけない成績になるかもしれない、
そういうリスクを負ってやったのに、
やり遂げられなかったことが
ずごく残念でした。
ただ、落ち込んでいる時間はありませんでした。
その日にもう、学校から家に電話があり、
いわゆる「親呼び出し」になりました。
まったく動じない母。
「お父さんの会社に電話してって言っといた」と、こともなげに・・・。
父は、会社の創業者で、仕事人間で、あまり家には帰ってこないで
ほぼ会社に住んでいましたので、電話で話しました。
「
先生のほうから会社に来るように言っておいた」ということでした。
名古屋市からわざわざ豊田市の会社まで
教頭先生を呼びつけた親。
強くていいなあと思いました。
自分も強くなりたいと思いました。
そして「教頭先生が、
おたくのお嬢さんは協調性がないって言ってたぞ」
とだけ報告を聞きました。
「協調性の話ばっかりだった」と聞かされました。
きょーちょーせー?
その言葉も始めて知りました。
協調して、だまって体罰に耐えることがいいことだとはまったく思えませんでした。
計画では、私から話にいくはずだった校長先生とは・・・
校長先生のほうから私を見にきて、
とてもおかしな状況になりました。
「きみが井上さんか」といわれて
「はい」と答えたら、校長先生は
「ふーん・・・」と言っただけで、
それ以上何の言葉もなく、しばらく私を凝視して、立ち去ったのでした。
この先どうなるのかという話がまったくなく、
「協調性がない」とか、「ふーん」とか、もうあきれてしまいました。
そんなことがあってから初めての授業の日がすぐにきました。
あえて授業に出て、近づいてきて殴られそうになったら
走って職員室でも校長室でもかけこんでやる、と思いかなり挑戦的になっておりました。
そして出た授業では、まるでなにごともなかったように、先生は私に話しかけることもなく
一度も視線を合わさず、つまり見向きもせずでした。
パッタリと体罰がやみました。
一度も誰も殴られないという、気味が悪いくらいの初の平穏な授業でした。
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つづき
→体罰に勝て.5
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