ルーコ 井上の「喜びを、創ろう」。集客・ブランディングの日々。

ルーコ 井上の「喜びを、創ろう」。集客・ブランディングの日々。

集客・ブランディングのコンサルティングと、それに関わるWeb・印刷物 企画制作の、株式会社ルーコの代表です。 「喜びを創ろう」を基本理念に活動する日々を書いています。

マークアップエンジニア・HTMLコーダー募集

2010年11月19日 08:11

産まれるまでの波乱: 夢農人 立ち上げの背景7


夢農人の立ち上げの背景
 その他の記事

(1)飢えていた・幸せは食卓にあり
(2)食べ物に思いを馳せる
(3)難病を発症
(4)極度のネガティブから・・・
(5)国産を食べるという食事療法
(6)発信する使命感

▼番外編
 広告屋になった理由



夢農人 立ち上げの背景」として、
6つの記事を書いてきました。

そのなかで、自分の病気とその克服が
食べ物によるものだったことを書きました。


-----食べ物による体温・血圧の正常化で妊娠

そうして元気になり、
あるとき、子どもができました。
(降ってわいたような唐突な書き出しで恐縮ですが・・・)

6年ほど前のことです。

正直、自分に子どもができるとは思いませんでした。

病中の体温は、35度強 くらいで、
血圧は、上が80あるかないか、という
低体温・低血圧の、大変虚弱な体質だったからです。

病気が癒え始めると、自分の体温や血圧に
興味がなくなって、実は、元気になってからは
どうなっているのか把握していませんでした。

ちゃんと、体温は常に36度以上あり、
血圧は、上が100を超えていました。

食事の改善により、じわじわ体温が上がっており、
現在では、37度弱、というところです。

というわけで・・・
あるとき妊婦になりました。



-----流産危機

あるとき、変な吐き気に襲われて妊娠に気づきました。

数ヶ月間、毎日毎日吐き気、でしたが、
「私は食べてるものがいいから絶対大丈夫」と
信じ込んでいました。
実際、大丈夫は大丈夫だったんですが・・・

産まれるまでも波乱、
産むときも波乱、
産んでからも波乱、
でした。

産まれるまでの間にまず、流産しそうになりました。
出血して、10日間、寝たきりになりました。

絶対安静とお医者さんに言われ、
さあ、まず今日からの
お客様との打ち合わせをどうしよう!
ということがありました。

創業5年目で、スタッフは2名、お客様は50社ほど。
すべてを自分で営業担当、
企画デザインも多くを自分でしていたため、
自分の身体以上に仕事のことが気がかりという状態でした。

流産危機に関しては、ふしぎと・・・
「私は食べてるものがいいから絶対大丈夫」と
信じ込んで、自分の身体に疑いは持ちませんでした。
おめでたいですが、事実です。



-----突然きた「社長不在」状態

アポが入っていたお客様にはお電話して事情を伝え
すべての仕事をスタッフにお願いしました。
それしか方法がありませんでした。

実際、出産してから1ヶ月はそうするしかないのですが、
それが突然きてしまった、というわけです。

妊婦であることはお客様には誰にも言っていなかったので
非常に驚かれましたが、
その後はお願いしたわけでもないのに
打ち合わせには出向いてくださるお客様が増え、
申し訳ないと同時に、非常に助けられました。

当時のスタッフ2名は、
突然の、私の不在状態に「どうすればいいの?!」というような
局面がたくさんたくさんあったはずですが、
寝たきりの10日間は、ほとんど電話してくることもなく、
無事復帰しました。



-----自分以外の生命と生き、農産物を「惚れて買う」

そうやって、人に助けられながら
おなかの子はどんどん大きくなりました。

自分の口から入るもので、
自分以外の生命が育っていく
という意識から、
「○○さんが作った野菜です」とか
「○○さんが作ったりんごです」とか、
農産物その他食物に添えられた広報物を見て、
惚れて買う、ということが多くなりました。
職業柄、「うまく企画して作ってあるなあ」なんてことを
考えながら見ておりました。

世の中は、農産物のブランド化
始まっていました。

その頃、当社はまだ「デザイン会社」であり、
企画・コンサルティング・サポート・運営という分野には
至っておりませんでした。



つづく・・・
→「妊婦になっても仕事命」へ


-----------------------------------------

夢農人の立ち上げの背景

(1)飢えていた・幸せは食卓にあり
(2)食べ物に思いを馳せる
(3)難病を発症
(4)極度のネガティブから・・・
(5)国産を食べるという食事療法
(6)発信する使命感

さらに・・・
→「妊婦になっても仕事命」
→産むときの波乱---37時間の恐怖
→産んでからの波乱---病気再発と社会復帰
→社会復帰後、初の新規仕事は農家のお客様
→体験しないとわからない人間

▼番外編
 広告屋になった理由




-----------------------------------------
※夢農人 立ち上げの背景については、
弊社運営サイト「農家のためのWeb戦略」において
→弊社が農家に関わる理由/「農家さんのお役に立とうと考えた理由」と題し
まとめています。  

Posted by ルーコ 井上美穂 │コメント(0)カテゴリ:夢農人 立ち上げの背景

2010年11月17日 10:01

発信する使命感 : 夢農人 立ち上げの背景6

昨日の記事
「国産を食べるという食事療法」の続きです。



病人だったのは過去のこと、とは言っても、
食事の内容は守った状態で、仕事を始めました。

帰省して病気を克服して最初のお客様は、父でした。
(それについては、また別の記事で書こうと思います)

おかげさまで、あれから11年たち、
現在は、まるで普通の人のように、
なんでも美味しく食べています。

ただ、どこにいても、食べるものに関しては、
選ぶことのできる範囲で、一瞬のうちに「選ぶ」という
行為は身についています。

また、家では節制していて、
(好きでしているので
節制とは言わないかもしれません。)
大変質素な食事(玄米菜食中心・ほぼ国産のみ)です。

私と同じ病気で、
現在、まともに社会生活を送れない方が
日本にたくさんいます。


いろいろな食物が簡単に手に入る現代では
私がやってきたことは、極めてシンプルなだけに、
逆に難関になっているんだと思います。

私は、まともな社会生活以上に
気力・体力を要する職に就いて
まずまず頑張ることができ、子どもまで産んで、
ほんとにありがたいことです。

国産の根菜・味噌汁・玄米ごはんで
「どんな病気でもよくなりますよ」と
食事療法の先生が言っていましたが、
実際、私の食事を変えるために、ついでに一緒に変わった
母の心臓病は癒えてしまい、
ひどかった姉のアトピーもどこかへいってしまい、
一家みんなの血液が変わっていたのでした。

ものすごくシンプルに言ってしまえば、
国産のものを主として、
人の健康を考えて作られたものを食べよう!

ということであり、
好きでやっている仕事上で、
これを発信していける「夢農人」の活動は、
とてもやりがいがあり、使命感に燃えるのです。



食事療法実践の話を書きたいだけ書いたら、
本が1冊かけてしまうくらい長くなるので、
この話はこの辺で終了します。

そして、次の話に移ります。
次は、超難産だった出産と、病気の再発と、
その間の仕事のことを書こうと思います。

社長が病気で死闘していたにもかかわらず
会社が存続しえたことは、
スタッフと、支えてくれた家族と、
協力してくださったお客様のおかげです。


つづく・・・
→「産まれるまでの波乱」へ進む
-----------------------------------------

夢農人の立ち上げの背景
 その他の記事

(1)飢えていた・幸せは食卓にあり
(2)食べ物に思いを馳せる
(3)難病を発症
(4)極度のネガティブから・・・
(5)国産を食べるという食事療法

▼番外編
 広告屋になった理由




-----------------------------------------
※夢農人 立ち上げの背景については、
弊社運営サイト「農家のためのWeb戦略」において
→弊社が農家に関わる理由/「農家さんのお役に立とうと考えた理由」と題し
まとめています。  

Posted by ルーコ 井上美穂 │コメント(0)カテゴリ:夢農人 立ち上げの背景

2010年11月16日 08:03

国産を食べるという食事療法:夢農人 立ち上げの背景5

病気で東京から帰省して、
食事療法を開始したところからまた書きます。



食事療法の先生(豊田の人です)が言うには、

根菜が入った具だくさんの味噌汁
玄米ごはんか 玄米が混ざったごはん
それだけを食べてれば、どんな病気もよくなりますよ」と。

え?そんな簡単なもの?
という印象でした。

●根菜(中心の野菜)
●味噌汁
●玄米(が混じったごはん)

    それだけです。

ただ、その玄米菜食にも条件がありました。

・日本でとれるものを食べる。
味噌や豆腐などの加工品も、国産のもので作られたものを選ぶ。
野生の動物が、自分の行動範囲内でとれるものだけを
食べて健康に生きているのと同じこと。

・なるべく近いところでとれたものを食べる。
愛知県産でなければ、南の方より北の方でとれるものを食べる。
南の方(暑い地方)でとれたものは身体を冷やし、
北の方(寒い地方)でとれたものは身体をあたためるようにできている。

・季節のもの(旬のもの)を食べる。
暑い季節が旬のものは、身体を冷やし、
寒い季節が旬のものは、身体をあたためるようにできている。

・なるべく地面に近いものを食べる。
一番地面に近い根菜類が、一番身体をあたためる。
身体をあたためると、免疫力が上がる。

・人の健康に関してちゃんとこだわったものを食べる。

・よく噛んで食べる
1口50回以上。

・少量にしておく


聞けば聞くほど、
日本人の古来に戻ることを意味していました。

昔はなかった病気がたくさん現代にはありますが、
(私の病気、潰瘍性大腸炎も、ここ20年くらいで
急速に増えてきた病気です)
それは、古来してきた日本人の食生活から
かけはなれていってしまったことが原因ということです。

食生活の欧米化が病をつくっている、とよく言われます。

ただ、ここがおもしろいのですが、
欧米のものが身体に悪いわけではなく、
欧米の方にはむしろそれが身体によいわけで、
日本人に合わないだけのことです。
そもそも腸の長さが、人種によりかなり違うんだそうです。

肉食動物の腸は短く
草食動物の腸は長い・・・
日本人の腸は、世界的に見ても、とっても長いんだそうです。
だから、穀類・野菜の割合の方が多い食事がいいんですね。
(食べる物によってなぜ腸の長さが違うのかは
長くなるので省略します)

また、すべての病気は血液から、ということも
知りました。
血液の質で、健康か健康でないかが決まります。

血液を作るのは・・・
当たり前ですが、食べ物です。

そして、食べ物を消化吸収するのは腸で、
腸が健康なら身体全体が健康になる
ということも知りました。

「なにもかもどうでもいい」から始まった食事療法で、
毎日毎日、根菜入りの具だくさん味噌汁と、
玄米入りのごはんを、1口50回噛んで食べました。

2ヶ月ほどで、虚脱感がなくなりました。

半年ほどして、
顔に生気が戻ってきました。


歩くのもやっとだったのが、
すたすた歩けるどころか
自転車であちこち出かけられるようになりました。

半年が過ぎる頃から、
麺類・魚介類や果物(すべて国産)も食べるようになり、
1年がたった頃には、病人だったことは過去のことになり、
夢中で仕事をしていました。



つづく・・・
→「発信する使命感 : 夢農人 立ち上げの背景6」へ進む


-----------------------------------------

夢農人の立ち上げの背景
 その他の記事

(1)飢えていた・幸せは食卓にあり
(2)食べ物に思いを馳せる
(3)難病を発症
(4)極度のネガティブから・・・

▼番外編
 広告屋になった理由




-----------------------------------------
※夢農人 立ち上げの背景については、
弊社運営サイト「農家のためのWeb戦略」において
→弊社が農家に関わる理由/「農家さんのお役に立とうと考えた理由」と題し
まとめています。  

Posted by ルーコ 井上美穂 │コメント(0)カテゴリ:夢農人 立ち上げの背景

2010年11月14日 14:38

極度のネガティブから・・・ : 夢農人 立ち上げの背景4

東京一人暮らしで病気、
の続きです。
夢農人 立ち上げの背景」になった
病気のことです。



-----激痛で救急車

ある日の朝、
おなかの激痛で目が覚めました。

あまりの痛みに、
「まずい、気を失う!」と思いました。

「気を失ったら、誰にも気づかれず死ぬかも」
と感じて、自分で救急車を呼んで、
病院に運ばれました。

朝5時。
救急車の音で近所の人や
アパートの大家さんも
起こしてしまったようですが、
(のちに聞いた話で)
あまりの痛みで、ほとんど記憶が
ありませんでした。

1日半ほど病院にいて、
退院して、母に電話しました。



-----車に乗せられて完全帰省

言わなきゃいいのに、
なんとなく
「親にぐらいは言っておいたほうが
いいかもなあ」
と思ってしまったのでした。

父からすぐ電話があり、
1週間で荷物まとめて帰ってこいと言われ、
でも仕事に未練があって
ぐずぐずしておりました。

ぐずぐずしているうちに、
なんと父母そろって、
車ではるばる東京まで
迎えにきてしまいました。
(電話で話してから1週間後、でした)

あっけにとられるほど、
行動的な両親でした。

その日のうちに、
車に乗せられて
完全帰省してしまいました。

私が、帰ることを渋っている間に、父は、
食事療法を熱心に指導することを仕事にしている方に、
相談していたらしく、
(山路で飲んでいて
そういう人に出会ったらしい・・・)
私が帰ってきた次の日には
その人がうちにきて、
薬に全く頼らない食事療法が始まりました。

はやい・・・。

思い立ったらすぐ。
有無を言わさず。

仕事上と同じです。



-----「なにもかもどうでもいい」から始まった食事療法。

ここで、「食事療法に希望を見出した」
と語ることができたら、
とても理想的な展開なのですが、
実はそうではなく・・・
衰弱していて毎日虚脱感がひどく、
「なにもかもどうでもいい」という
極度にネガティブな精神状態になっていて、
流されるままに始めた
食事療法でした。

しかし、この体験があったからこそ、
食べるものに関して
どこで採れたものかを気にするとか、
どういうふうに作られたかを気にするとか、
生産している人に思いを馳せるとかいう
発想が生まれたのでした。

それが夢農人立ち上げの背景、
直接的きっかけです。



次回・・・
食べる物をまるっきり改善して
元気になっていったことを書きます。

ちょっと暗い話が続きましたが、
だんだん明るい話題になります(^^


つづく・・・
→「国産を食べるという食事療法:夢農人 立ち上げの背景5」へ進む



-----------------------------------------

夢農人の立ち上げの背景
 その他の記事

(1)飢えていた・幸せは食卓にあり
(2)食べ物に思いを馳せる
(3)難病を発症

▼番外編
 広告屋になった理由




----------
※夢農人 立ち上げの背景については、
弊社運営サイト「農家のためのWeb戦略」において
→弊社が農家に関わる理由/「農家さんのお役に立とうと考えた理由」と題し
まとめています。  

Posted by ルーコ 井上美穂 │コメント(0)カテゴリ:夢農人 立ち上げの背景

2010年11月13日 10:58

難病を発症 : 夢農人 立ち上げの背景3

夢農人の立ち上げの背景を
書いてきましたが、
(1)へ。(2)へ。)
その続きを書きます。(3)です。



背景となったことのひとつは、
●幼少時代に、飢えたこと。
そして、もう一つは、
背景というより直接的なきっかけになった、
●病気のことです。

私は、食べ物で病気になり、
食べ物で治療して元気になりました。


その間、約5年です。

当社、ルーコという会社は、
元気になった頃に、創業しました。

創業後は、5年目に
1度大きな再発があり、
人知れず闘って乗り越えました。
(創業11年なので6年ほど前です)



-----難病を発症

「広告屋になった理由」の記事で書きましたが、
書くことを仕事にしたいと
思っていたにもかかわらず、
2年足らずで辞めて、東京から帰省したのは、
病気が原因でした。

発症自体は、大学2年になる直前でした。
ある日突然激しい下痢になり、
10日たっても治らず、
さすがに体力の低下に耐えかねて、
病院へ行きました。

近所の医院へ行っても治らず
学校の医務室に相談したら、
大きな大学病院を紹介されました。

潰瘍性大腸炎という病気で、
今は知りませんが、当時は
厚生省の難病指定疾患で、
「基本的に治らない病気なので、
一生付き合って行くと思ってください」
とお医者さんから言われ、
目の前が真っ白になる思いでした。

1ヶ月ほど、まともに生活できないくらいの
激しい下痢と下血。
そのあとは、薬による激しい副作用で、
吐き気とめまいと発熱。
これまたまともに生活できませんでした。


-----病気の原因は食生活

病気の原因は、食生活と、
精神的ストレス、とされていましたが、
大学生活に、特にストレスは感じなかったので、
明らかに食生活が原因でした。

その食生活とは・・・

アルバイト先のラーメン屋さんで、
毎日のように、ラーメン。
夜中はお腹いっぱいのところへ
クリーム系のお菓子。
朝は、牛乳と卵かけごはん。
昼は学校の売店のサンドイッチなど
という食生活でした。

好きなものを
好きなだけ食べていました。
若いだけに、また、育った環境からか
食欲は人並みの2倍はあり、
量もかなり食べていました。

食べているものひとつひとつは
ときどき食べる分にはそれほど
害はないのですが、
蓄積とは恐ろしいものです。
1年で、難病患者になってしまうのです。


-----回復したものの、また弱っていく・・・

回復は、激しい副作用のあとでした。

薬の副作用の方が病気より辛くて、
勝手に薬をやめて、
勝手に通院もやめてしまいました。

一時的に元気なときに、
テレビ局に関わる場所で、
仕事を得ることができたわけです。



いかにやりがいある仕事といっても、
テレビ局の仕事は、かなり過酷で、
体力がついていかなくなっていきました。
頻繁に発熱していました。

人並みに食べると下痢になる体質に
なっていたので、
なにもかも、こわごわ食べていました。

痩せ細っていきました。



つづく…
→「極度のネガティブから・・・ : 夢農人 立ち上げの背景4」へ進む


----------
※この、「難病を発症」した話は、
弊社運営サイト「農家のためのWeb戦略」において
→弊社が農家に関わる理由/「農家さんのお役に立とうと考えた理由」と題し
まとめています。  

Posted by ルーコ 井上美穂 │コメント(0)カテゴリ:夢農人 立ち上げの背景

2010年11月11日 08:07

食べ物に思いを馳せる : 夢農人立ち上げの背景2

-----食べ物に、「すごいなー!」

食べ物に困らなくなったのは、
私が小学校にあがって、
しばらくしてからと
記憶しています。

とは言っても、
まだ、同級生よりは「お腹が減っている」状態で、
友達の家に遊びに行くと出てくる
食べ物(特にお菓子類)にはいつも驚き、
(それが一般家庭の普通の状態だと思いますが)
「すごいなー!」と言葉に発することなく
強く思っていました。


-----食べ物への畏敬と興味

さらに暴露してしまうと・・・

学校から帰るときは、
給食の配膳室に忍び込んで、
手付かずで残っているパンなどを
拝借したりしておりましたし、
空き地になっている木苺(?)や
近所のお庭から道路に枝がはみ出している
いちじくだったかざくろだったか、
果実など拝借して、
むしゃむしゃ食べておりました。
(ごめんなさい・・・)

いつの時代ですか?
という感じの話ですが、
昭和50年代です。

食べ物にまったく困らなくなっても
「食べ物がある」という状態への感謝と
食べ物への畏敬と興味は、ずっと続き、
大人になっても根強く残っています。

母は、「食べられるのは、お父さんのおかげ」と、
「ご飯粒ひとつまでお百姓さんのおかげ」と
しょっちゅう言っていました。

三つ子の魂百まで、です。



-----食べ物の原点・命の原点を担う人

食べ物に思いを馳せると
その 大もとは、農業ということに
思い至ります。

初めて自分の仕事上で農業の方がお客様になり、
農業のことをいろいろ聞いて思ったのは
「食べ物の原点である農業に
もっと陽が当たったら
生産する人も、販売する人・料理する人も、食べる人も
みんなもっと喜ばしい状態を作ることができるに違いない」
ということです。

食べ物がない、という状態を経験したことで、
食べ物の原点・命の原点を担う人への尊敬と、
その現状をよくするために働くこと、
またそのために働ける喜びは、人一倍、
いや、何倍も、何倍も・・・なのです。



つづく・・・
→「難病を発症 : 夢農人 立ち上げの背景3」へ進む


--------------------------------

前の記事
「飢えていた・幸せは食卓にあり : 夢農人 立ち上げの背景1」



----------
※この、「食べ物に思いを馳せる」話は、
弊社運営サイト「農家のためのWeb戦略」において
→弊社が農家に関わる理由/「農家さんのお役に立とうと考えた理由」と題し
まとめています。  

Posted by ルーコ 井上美穂 │コメント(2)カテゴリ:夢農人 立ち上げの背景

2010年11月10日 08:35

飢えていた・幸せは食卓にあり : 夢農人 立ち上げの背景1

-----食べ物で病気になり 食べ物で回復

私が「夢農人とよた」の
立ち上げに関わった背景には、
自分が食べ物で病気になり、
食べ物で治療し回復して元気になった
ということがあります。

そして、もうひとつ。


-----飢えていた

幼少時代に食べ物がなくて飢えていた、
ということも偶然ではないと思います。

昭和の経済成長期に
子どもが飢える、というのは
なかなかないことですが、
我が家はちょっと特別でした。

父親が現在のユーズネット(ルート)を
創業する直前に私は生まれました。

創業期は、父は、自分が食べる物に関して
「500円で腹いっぱい食べるのが夢」と
ブログにも書いていました
が、
そうなると当然
妻子も食うに困っている状況があり
母が牛乳配達、新聞配達、
スーパーのレジなどをして
何とか食いつないでいました。

3人 小さな子どもがいたので、
(私は末っ子です)
会社勤めでまともな収入を
得るという選択ができなかったようです。

物心ついた頃の記憶は
「常にお腹が減っていた」です。

父親とは3年ほど会わずにいた時期があり、
どういう人かは母から聞かされて育ちました。



-----食べ物への羨望

母がレジ仕事をしているとき
レジ台の下で
食べ物への羨望を持ちながら
遊んだりお昼寝したりしていました。
少しだけその記憶があります。

来る日も来る日も
具のない味噌汁と、ほんの少しのご飯。
他にも食べ物があった日には
大喜びでした。

母は、自分が右から左へ流す
レジでの食べ物を見て、
「食べさせてやれない・・・」と
涙をのみながら仕事していたそうです。

味噌汁用の だし昆布をかじって
飢えをしのいでいるような日も
よくありました。

特に、強烈に記憶にある
過去の残像があります。

ある日の夕方、
姉とふたりで留守番していて
ふたりとも空腹でへたへたと
しゃがみこんで だし昆布をかじって
「おなかすいたねえ・・・」
と会話したことがなぜか
強烈に記憶に残っています。

そんなふうでしたが、
母はいつも明るく、
「お父さんは日本一立派な人」と語り続け、
私は大変 能天気に、まったく
みじめな気持ちはなく育ちました。



-----幸せは、常に食卓にあり

幸せは、常に食卓にあり、
というような家庭だったと思います。
食べ物がなくて困っているのに
皆無ではないということを上手に利用し
「食べていけるのはお父さんのおかげ。
ありがたいね」と
母は明るく語っていました。


つづく・・・
→「食べ物に思いを馳せる : 夢農人立ち上げの背景2」へ進む



----------
※この、飢えていた話は、
弊社運営サイト「農家のためのWeb戦略」において
→弊社が農家に関わる理由/「農家さんのお役に立とうと考えた理由」と題し
まとめています。  

Posted by ルーコ 井上美穂 │コメント(2)カテゴリ:夢農人 立ち上げの背景