ルーコ 井上の「喜びを、創ろう」。集客・ブランディングの日々。

ルーコ 井上の「喜びを、創ろう」。集客・ブランディングの日々。

集客・ブランディングのコンサルティングと、それに関わるWeb・印刷物 企画制作の、株式会社ルーコの代表です。 「喜びを創ろう」を基本理念に活動する日々を書いています。

マークアップエンジニア・HTMLコーダー募集

2015年11月15日 19:56

年齢に逆行してタイムを縮める豊田マラソン10km

今年も、豊田マラソン10kmに出場し

完走できました。




地域ブログサイトブーログ立ち上げから8年。

豊田マラソン出場8回目
です。


初出場の8年前、少しでもブーログをPRしたくて、

協賛広告を出し、Boo-logロゴの入ったTシャツを着て走ったのが

きっかけで、今に至ります。


※今年の協賛広告です。




今年もしかった〜。

でも、初出場の8年前にくらべたら、かなりマシです。

10km完走は、トレーニングでもときどきやっていましたし、

タイムの更新で苦しんでるだけなので。



体育会系で生きてきた私は、ある程度 走る力に自信があったのですが、

8年前の32歳で、時間制限内 最終ランナーとなってしまい、

もう、とてつもなく苦しくて、

ゴール間際では、着ぐるみの「ランちゃん」がハイタッチでお出迎えで並走、

私のために再度ゴールテープが貼られ、ゴールしたら満場の拍手!

というのが、嬉しかったけどショックだったのです。

80代の人より遅い・・・。

不健康で、なまけすぎじゃないか!と思って、じわじわ、

ときどきランニングするようになりました。



そして、32歳で72分だった私・・・

32才 72分00秒(時間制限内 最終ランナー)
「豊田マラソン 時間制限内最終ランナー ゴールイン」


▼33才 いやになって欠場

34才 71分35秒
「豊田マラソン(第30回記念大会)10km完走しました!」


35才 62分38秒
「あれっ?! の連続。3回目の豊田マラソン。」


36才 59分09秒
「今年の豊田マラソンはタイム更新!」


37才 57分17秒
「想定外の豊田マラソン10km」


38才 53分34秒
「豊田マラソン2013も10kmを完走・タイム更新、来年が怖い!」


39才 55分30秒
「昨年の自分に勝ち続ける? 豊田マラソン」


40才 54分31秒


というふうに、ほぼではありますが、毎年のようにタイムを更新中です。

「昨年の自分に勝ち続ける」挑戦、45歳くらいまでは、

がんばってみます。

豊田マラソンが豊田にあったおかげで、ときどき運動するようになり、

健康になったのだから。

※32才当時の私の不健康さ は こちら。
「豊田マラソンのおかげで生まれ変わりました」
頭痛とめまいと猛烈な眠気が毎日・・・



今年は、息子が地元のサッカーチームのみんなで

小学生の部2kmで参加したので、ゴールを見届けました。




ちびっこたちが、一生懸命走ってる姿は、

かわいくて微笑ましかったです。

豊田マラソンの楽しみが、ひとつ増えました。  

Posted by ルーコ 井上美穂 │コメント(2)カテゴリ:自分のことカテゴリ:地元 豊田市のこと

2015年06月30日 19:40

病気で去った吉祥寺に15年ぶりに降り立ち感動しました。

月一恒例となった東京出張に、行ってきました。

8回目です。


※帰り、なかなか来ない新幹線を待つ時間に、
眺めてた東京駅。



行く時間も場所も同じなので、豊田市の名鉄線から
同じ時間の電車に乗り・・・

その何号車に乗るか、
どの階段を使って乗り換えて、
どの改札から出て、
次にどの通路と階段を使って
新幹線乗り場にたどり着き、
これまた何号車に乗って・・・

など、
ほとんどすべて行動が定まってくるものです。

今回もここでバッチリ、ホットコーヒーをゲット。
そんなことも、定まってくる・・・。




このコーヒー屋さん美味しいです。



こうして、東京に行きまして、東京のお客様たちとお会いし・・・
2日目の朝は、大学生の頃から5年間 住んでいた
吉祥寺の沿線にお伺いする用件があったので、
懐かしくて吉祥寺に一泊することにしました。



当時利用していた駅の北口付近狙いで、
わざわざ北口付近のホテルを予約し、
駅からホテルまで歩くだけで懐かしいかと思ったら、
ほとんどわからない(・_・;

懐かしさを感じるものが、なんにもない・・・。

25才で東京から帰ってきたので、およそ15年が経っているわけで、
でも、15年経っても変わらず存在している店は
ありそうなものなのに・・・

通りすがりで思い出せたのは、
愛知の地元にもある「SEIYU」だけでした。

もっと若い・幼い頃のことは鮮明に覚えていたりするので、
そこだけ記憶が抜け落ちたみたいで、残念な気分になりました。

でも、残念なままなのが残念なので、
確実に覚えているところに行ったら・・・
どんどん記憶が蘇りました。

不思議なものですね。

確実に覚えていた場所その1、
富士そば。



超がつくくらい安くて早い、そば屋さん。



よく食べた富士そばが同じ場所にあったことと、
10秒でそばが出てきたことが変わってなくて感動しましたし、
なんだか嬉しかったです。



アルバイトしてて、エスプレッソマシーンで火傷を負った
思い出の駅改札付近の喫茶店は・・・
スターバックスに
なっていました。

時代を感じました。

よく行ったバッティングセンターは、
取り壊されて、空き地になってました。


いずれにしても、病気で去った吉祥寺に、今ほどほど健康
降り立ったことが奇跡みたいに感じて、
苦しくて、いい思い出があんまりなかった場所を、
いい思い出化できて、よかったです。

思い出の場所は、変わっていないことが嬉しいわりには、
自分が変われば、思い出までも、いいものに変わるものです。  

Posted by ルーコ 井上美穂 │コメント(2)カテゴリ:日々のことカテゴリ:自分のこと

2015年01月09日 16:49

自分の使命

昔から、描くことや書くことが少し得意で、

それがいつしか職業になり、会社になり・・・

お客様をはじめとする地域のみなさんに応援していただいたことを

実感している今日このごろです。



このブログの記事上にも入れましたが↑

どのようにして今に至って、仕事に対してどういう思いでいるかということ、

自分の使命について、

自分の紹介ページ(ルーコホームページ内)に書きました。


→ルーコ井上 紹介ページ「喜びを創るの素」


Webや印刷物など広報物を活用したブランディングをお客様とともに

行っていく中で、

お客様のストーリーをお聞きし、まとめあげて適切な場所に掲載し、

発信していくことは業務でこれまでもいろいろ行ってきましたが、

自分や、自社のストーリーに関しては、手薄になっていた感があります。

これから、じっくり取り組んでいきたいと思います。



  

Posted by ルーコ 井上美穂 │コメント(0)カテゴリ:自分のこと

2014年08月17日 19:08

蚊に刺されることを誇りに思う

私は、どこへ行っても人より蚊に刺されやすく

ひどいときは、誰も刺されていないのに

一人でボコボコに刺されている

というくらい蚊に好かれています。

この夏もまた、変わらず愛され続けています。

恐らく人より体温が高いからだろうなと思っていました。

(平熱が36.8度 前後)。

が、特にちゃんと調べることもなく、年月がたち、

今日の中日新聞のサンデー版で、初めてそれが本当のことだと

知りました。




これまでサンデー版は絵だけ見て、

記事は読んだことがなかったのですが、

蚊に愛され過ぎる私は、引き込まれるように読みました。

面白かったです。





誰も、蚊に刺されたい人はいない。

だから、私が一身に蚊を集めて一緒にいる人を守ってるんだなあ、

なんて思って、自分に満足(笑。



そんな私も10年くらい前は、虚弱体質の低体温・低血圧で、

平熱は35度台の前半だったのです。

その頃は人と一緒にいると

自分だけはあんまり蚊に刺されませんでした。

それが今では37度弱で、蚊に選ばれて当然な人間になっています。

何年もかけて、結果として体温を1.5度くらい 上げるに至る

食事療法と運動をしてきたからなのですが、

それについては、『夢農人立ち上げの背景』という

記事の中で書きました。


低体温・低血圧でだるかったり、どこか辛い症状を抱える人に

役立てていただけたら嬉しいです。

蚊に選ばれるくらいの体温になって健康になりますように。  

Posted by ルーコ 井上美穂 │コメント(0)カテゴリ:日々のことカテゴリ:自分のこと

2014年03月14日 10:44

ホワイトデーのショッキングな思い出

今日は、ホワイトデー。

ホワイトデーが誰でも知っている一般的な行事?文化?になったのは、

いつ頃のことでしょうか。

確か、私が小学生の頃は、バレンタインデーは文化になっていましたが、

ホワイトデーは知らなかったような・・・。

中学生になった頃には、ホワイトデーも一般化しつつあったと記憶しています。



というのも、中学生の頃のホワイトデーに、忘れられない思い出があるからです。

簡単に言うと、、、

好きだった男の子からのホワイトデーの贈り物のお菓子を、

自宅に届けられていたことも知らない状態で、

姉に全部食べられた、という思い出です。



一生忘れられない、というくらい、ショッキングだったのです(笑)。



あれから25年も経っていますが、未だに、姉とその話が出ます。

今となっては笑い話。



ホワイトデーから1ヶ月くらいたったころに、贈り主の男の子が

私がお礼のひとことも言ってこないことを不思議に思ったようで

「クッキー、食べた? ポストに入れといたやつ」と言ってきました。

なんのことかわからなかったのですが、ホワイトデーだったんだ!

と気づいて(というくらいなので、一般化はしていなかったように思います)

とっても嬉しかった記憶です。



ポストに入れられてたと聞いて、母か姉がどこかにしまったかな、

と思い、2人に聞いた結果、姉が全部、1つ残らず、食べてしまったことが発覚。

ショックで怒りの汗が出ました。



姉は、「なんでポストに入ってるのかなとは思ったけど、

誰かにもらったんだろうと思って、食べちゃった。ごめ~ん。ゆるして~。」

と言って、空の缶を私に差し出しました。

缶がかわいくて捨てられなかったという・・・。

私は、缶だけを、眺めてしょんぼりと日々を過ごしました。



ホワイトデーというものが、まだ一般的でなかったから

「あるから食べた」になったのではないかとも思います(笑)。



その缶、なんとなく捨てられなくて、20年くらい、実家の私の部屋にありました。

ルノアールの少女の絵がついているけっこう大きな缶箱でした。

左上の絵です。(画像は、検索結果の画面です)




食べられてしまったからこそ、思い出深いホワイトデーとなりました。

順調に私が受け取り食べていたら、

もう忘れていることでしょう。

他の年のホワイトデーはほぼ覚えていない・・・。



当時は、メールもLINEもFacebookもない時代。

今なら、「家にいる?」という確認や
「いなかったからポストに入れといたよ」なんていう報告が

お手軽に携帯から送れるので

私のような被害者は出ないことでしょう。



ホワイトデーが来るたびに、通信技術の発達にも思いを馳せる私です。

今ではその通信技術を使って仕事し、バレンタインデーやホワイトデーには、

洋菓子屋さんの売り上げアップを手伝う、という仕事をしています。

おもしろいものですね。

そして、その姉が、またブログを書き始めました。

ブログの見た目のリニューアルも私たちが仕事で行いました。

人生っておもしろい。


  

Posted by ルーコ 井上美穂 │コメント(0)カテゴリ:自分のこと

2013年02月28日 09:09

体罰に勝て.5

前回の記事で
先生からは何も言葉はなかったけれど、体罰が突然終わったことを書きました。

それからしばらくも、その先生からは話しかけられることもなく、
目が合うことすらなく、
まるで私と友達(一緒にボイコットした友達)がその場にいないかのように
授業をしていました。

体罰より無視のがましだとは思いましたが
腹が立ちました。


家庭では、また別の話を父としていました。

「ここから先、まずいのは、内申(通知表の点)だ」
という話。

テストの点がよくても、先生に嫌われると簡単に通知表の点が落ちるということが
わかっていたので。
まわりの話だけでなく、実際に姉がそれを経験していました。

「テストでは、まったく文句のつけようがない点数をとるしかないな!
それでも内申が悪かったら、これはどういうことだ!って訴えればいい」と父が。
なんだか父は楽しそうでした。

父は、学年順位のグラフを作って、
「次のテストでここ、その次にここ」
勝手に決めて、楽しそうでした。

まともに高校に行くには、ほかの教科で稼ぐ必要があるんですが、
先生たちの間では、私がやったことはみんな知っていて、中にはその話を
「話題だよ」と言ってくる先生までいましたので、
とても不利な状況でした。

もとから成績は下から数えたほうが早いくらいで、勉強は嫌いで、
しかしまあ「やるしかない!」と、腹をくくりました。

というのも、このことで成績を落とされたんでは、体罰に勝ったことにならない
と思ったからです。

めらめらの闘志で急に勉強し始めました。
すでにそのとき3年生になっていました。

3年生になったとき、教科担当の先生たちは、2年生のときの担当から
そのまま3年生担当にあがってくるルールだった私の中学校でしたが、
あの体罰先生だけは、異例で別の学年の担当になりました。
その後も、その先生に誰かが殴られたという話はありませんでした。

私がやったことは無駄ではなかったと思いました。
でも、まだ戦いに勝ったことにならないんだ・・・
と思ってひたすら勉強の毎日を送りました。

時間かければいいというものではありませんが、
それまでの勉強嫌いでかなり学力不足だったので、
3年生なのに2年生の勉強もしなければならず、
風呂でもトイレでも勉強、寝ているとき以外はずーーーーっと勉強していました。

下校時などは、友達同士話しながら帰るのが普通のところ、
誰にも声をかけず誰よりも早く学校を出てさっさと帰宅し、ガリガリ勉強しました。

本来 外で走り回るのが大好きだった私でしたが、
太陽にあたらない生活で、青白い子どもになっていきました。

父が作ったグラフどおりに成績が上がっていき、
行きたい高校、目標ができ、ますます勉強に燃えました。

そうしたら・・・・
もう、腹が立った先生たちのことや、過去のことも、
まったく眼中にない状態になっていました。

あとで考えたら、この状態がほんとうの意味で
体罰に勝ったってこと
なんだろうなと思います。
先生が体罰をやめことでもな、学校のルールが変わったことでもなく、
この「自分の状態」がです。

いろいろありましたが、自分にはいい体験だったと
思える大人になりました。

こんなに長く書いてきたのは・・・
何か打ち込めることがあって、目標をもつと、苦しいことも、
乗り越えられるかもしれない
、ということを
今 体罰その他で苦しんでいる子に伝えられたらと思ったのでした。

これで、「体罰に勝て」シリーズ、終わります。

  

Posted by ルーコ 井上美穂 │コメント(3)カテゴリ:自分のこと

2013年02月26日 08:19

体罰に勝て.4

前回の記事で・・・
授業に出ずにある教室にひそんでボイコットを決行し
そのままなかなか動き出せずにいたら、担任の先生が来てしまった、
というところまで書きました。



計画どおりにいかなかった体罰授業のボイコット。
担任の先生にでもなく、職員室でもなく、校長室に行って
校長先生に訴える計画だったのに、
「いったいどうしたの?!」と、ものすごく驚いて、あせっている様子の
担任の先生が現れたのでした。

結局担任の先生に理由を話さざるを得ませんでした。
「言っておくから、次から授業は出なさい」というようなことでした。

特に達成感を目指してやるようなことでもありませんが、
気持ちは不完全燃焼。

何も変えることができないかもしれない
ますます体罰・暴力が激しくなるかもしれない、
高校にいけない成績になるかもしれない、
そういうリスクを負ってやったのに、やり遂げられなかったことが
ずごく残念でした。

ただ、落ち込んでいる時間はありませんでした。

その日にもう、学校から家に電話があり、
いわゆる「親呼び出し」になりました。

まったく動じない母。
「お父さんの会社に電話してって言っといた」と、こともなげに・・・。
父は、会社の創業者で、仕事人間で、あまり家には帰ってこないで
ほぼ会社に住んでいましたので、電話で話しました。

先生のほうから会社に来るように言っておいた」ということでした。

名古屋市からわざわざ豊田市の会社まで
教頭先生を呼びつけた親。
強くていいなあと思いました。
自分も強くなりたいと思いました。

そして「教頭先生が、おたくのお嬢さんは協調性がないって言ってたぞ」
とだけ報告を聞きました。
「協調性の話ばっかりだった」と聞かされました。

きょーちょーせー?
その言葉も始めて知りました。
協調して、だまって体罰に耐えることがいいことだとはまったく思えませんでした。

計画では、私から話にいくはずだった校長先生とは・・・
校長先生のほうから私を見にきて、とてもおかしな状況になりました。

「きみが井上さんか」といわれて
「はい」と答えたら、校長先生は「ふーん・・・」と言っただけで、
それ以上何の言葉もなく、しばらく私を凝視して、立ち去ったのでした。

この先どうなるのかという話がまったくなく、
「協調性がない」とか、「ふーん」とか、もうあきれてしまいました。

そんなことがあってから初めての授業の日がすぐにきました。
あえて授業に出て、近づいてきて殴られそうになったら
走って職員室でも校長室でもかけこんでやる、と思いかなり挑戦的になっておりました。

そして出た授業では、まるでなにごともなかったように、先生は私に話しかけることもなく
一度も視線を合わさず、つまり見向きもせずでした。
パッタリと体罰がやみました。
一度も誰も殴られないという、気味が悪いくらいの初の平穏な授業でした。


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つづき
→体罰に勝て.5  

Posted by ルーコ 井上美穂 │コメント(3)カテゴリ:自分のこと

2013年02月24日 09:39

体罰に勝て.3

前回、アドバイスしてくれた父に
「わかりました。やってみます」と言って、
ボイコットというものを行うことを決意したところまで書きました。



ボイコット決行の日。
朝出かける私に、母が「頑張ってやってらっしゃいね」と言いました。

今思うに、もし私の子が、教師から体罰・暴力を受け、相談されたら、
とても、「自分で戦え」と言える自信がないし、
「頑張ってやってらっしゃいね」なんて
言えるだろうかと・・・。

親である自分が怒り心頭で学校へ話しにいくに違いありません。
(子どもの年齢にもよるかもしれませんが)

そういう意味で、まだ私は親としては未熟だなと思いますし、
私の親は、変わった親だと思います。


ボイコットは、決行しました。

「一緒にやろう」と10人くらいに声をかけ、みんなでやることになっていましたが、
結局、いざとなったらみんな怖がって、私と行動を共にしたのは、
1人だけでした。

これは、二年生の三学期のできごとでした。

三年生も二年生時の先生がそのまま担当であがってくるルールになっていて
二年のうちに先生に嫌われたら、高校受験の際に必要な内申(通知表の点)に
マイナスに響くのです。

最初からそこんとこを心配していた子もいて、
そういうこともみんなを思い止まらせてしまった一因で、
どうしようもない理由だし、ただでさえボイコットなんて怖いし・・・。
それでも裏切られた気持ちでいっぱいでした。

自分にはそういうことを人に乗り越えさせるだけの力量がなかったことを思い知らされ
同時に、それでも賛同してくれる仲間がいるということを知りました。

そして、ただ一人の、捨て身の賛同者(女の子でした)と共に、
ボイコットを決行しました。

教室にふたりだけになり、床に小さくなって座っていました。

しーんとした教室で、「授業始まったね」「そうだね・・・」
「もう私たちがいないこと気がついた頃だよね」
というような会話をしていました。
怖くて、座ったまま立ち上がれませんでした。

更なる体罰・暴力を受けるかもしれない、ということも怖いのですが、
それよりも、自分が、学校の歴史上誰もやったことがないであろうことをしている・・・
とても大それたことをしていることが怖かったのです。

肝心なところで小心です・・・。

時間をかけて、意を決して、計画どおり、「校長室に行こう」と立ち上がりかけたときに、
担任の先生がびっくりした顔で教室に来てしまいました。



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つづき
→体罰に勝て.4  

Posted by ルーコ 井上美穂 │コメント(2)カテゴリ:自分のこと

2013年02月22日 09:22

体罰に勝て.2

教師からの体罰を、初めて親に相談したところまで
先回書きました。


担任の先生には相談しませんでした。

まだ20代の、まもなく結婚します、という若い女の先生で、
私が相談したことで悩ませることがいやだったのです。
担任まで殴られるんじゃないかと思いました。

だから親に相談しました。
まず、母親に相談しました。

「お父さんに相談してみて」でした。

次に父親に相談しました。

父は子どもに手をあげることは決してない人でしたが
とにかく雰囲気が怖く、重い話を怖い人にするということで、
とても緊張したことを記憶しています。

でも、
お父さんが学校に何か言ってくれる、
お父さんは怖いから、
先生も怖がって、もう殴ることはなくなるに違いない!
期待していました。

が、父が私に言ったのは
「その先生と戦え。体罰に勝て。」でした。

期待は見事に裏切られてしまいました。
がっくり。

ただ、「大丈夫。戦い方は教える。」と言いました。

「どうやって戦うんですか?」
(子どもの頃から父とは敬語で話しています)

ボイコット。授業に出ないという作戦。
なるべくたくさんの友達を引き連れて、みんなでボイコットだな!」

そのとき初めてボイコットという言葉とその意味を知りました。
びっくりしました。

「ボイコットして、その次に、職員室ではなく、校長室にみんなで直行する。
それで、なぜ自分がボイコットしたか、校長先生に話しなさい
と父は言いました。

そうすることの意味も教えてくれました。

私は「わかりました、やってみます」
と覚悟を決めました。

そして、ほんとうにやりました。
途中までは、やったのです・・・。


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つづき
→体罰に勝て.3  

Posted by ルーコ 井上美穂 │コメント(3)カテゴリ:自分のこと

2013年02月20日 08:57

体罰に勝て.1

今度、豊田市内の中学校で職業紹介という講演をすることになりました。

こういう職業があるんだよ、ということを社会人として生徒に伝えるという主旨のもので、
当社のお客様も数名一緒に講演することになっています。

その中で、自分の中学時代のこともお話してください・・・というご依頼があり、
語れるような中学時代ではなかった
自分の中学時代
のことを思い出しました。

静かに思い出す時間をもったことで、
当時の苦しい気持ちがこみ上げました。

もちろん、ふと我に帰れば、
そんなこともあったなあ、私って昔から波乱万丈!
と自嘲モードに入るのですが・・・

思い出して、思い出して、
思い出し始めると、いろんなことが頭の中で、カラーで鮮明によみがえり、
あのときの、恐怖と怒りと悔しさで喉がつまる感覚もまた、蘇るのでした。

思い出して止まらなくなったのは、先生からの体罰と、
それとの戦いのことです。

私の中学時代は、それなくして語ることはできないのです。

だから、職業体験で語るネタではなく、その分、仕事の話をたくさん楽しくしてこよう!
と思っております。



私の中学時代は、ある教科担当の先生に目をつけられたクラスの中の5~6人が
日常的に殴られている、というもので、
何かと理由をつけられては殴られていました。

私などは、
「井上美鹿の妹だから」という理由で殴られていました。
そのように最初に宣言されて殴られていました。



姉も私も反骨精神丸出しの少女で、かわいげがなかったことが
目をつけられた理由ではないかと思います(笑)。

ただ、姉は、身体も大きく一見強そうだったからなのかわかりませんが
特に体罰の対象にはなっていませんでした。
私は当時姉より20cmくらい身長が低い小柄な少女で、
その上で精神的にはなかなか強く、
なんとなくこいつなら殴っても大丈夫だろ、みたいなものだったのではないかと思いますが
それも想像であって、なぜ殴られていたのかはよくわかりません。

同じクラスではなかったのですが、ひどく殴られて、
頭蓋骨にヒビが入った生徒もいました。

あと少しでも力が強かったら死んでしまうケガではないでしょうか。

その人は、力関係でいえば圧倒的に弱い、女の子でした。
先生は、ガタイのいい40代の男性でした。

親は学校に訴えかけたそうですが、
その後もなんら変わらずに、殴られる生徒がいて、私もその一人でした。


私は体が小さかったので、
殴られてよろける、倒れる、ということもよくありました。

どんなに殴り返したいと思ったことか。

しかし、勝ち目はないので、抵抗しませんでした。

「卒業式の日に、絶対にあいつの顔にケチャップかけてやる!」と心に誓っていました。

中二の頃だったので、まだ一年以上ある卒業の日が待ちどおしくてたまりませんでした。

どんなふうに駆け寄って、どのようにケチャップを構えて、
どんな角度で発射するか、まで検証していました。

ケチャップを顔に発射するシーンを想像して、日々耐えていました。

そんな中学時代だったのです。
暗いですね(笑)。

(大人になった今では、ケチャップを製造、販売している人に
申し訳ない話だと思います。)

当時は、先生に殴られる、ということは当たり前の時代というか
当たり前の学校でしたので、
みんな、「やだなー」「いたいなー」くらいの感覚だったと思います。

あるとき、私は、何回も顔や頭を殴られて、倒れたところをさらに、
蹴られるという体罰を受けました。

殴られることは日常だったのですが、
蹴りが入ったことをきっかけに、「これはもう、ヤバイ」と、身の危険を感じたのと、
それでもやはり気は強かったので、
怖いよりも、腹が立って仕方ありませんでした。

怒りをこらえきれずに、
初めて親に相談しました。

うちは、親が、、、
特に父親が変わり者ですので、
相談したことで、そこからが、ドラマのような展開になっていきました。

続きはまた、書きますが、こんなことをブログに書いて、なんなのかというと・・・

昨今体罰のことがよく報道されています・・
ほんとうに、悲しいことです。
日常的に体罰を受けて精神的に追い詰められている若者がもし、
この話を読んだら、ちょっと勇気付けられるんでは?と思ったのです。

あとは、生きてさえいればいつか大人になり
「あれを乗り越えたから今自分はこんなに強いわ!」と笑える自分に
きっとなれる、実際そういう大人がいる、ということを、
伝えられたらと思います。

ただ、体罰の種類やケースによっては、
私の話はまったく参考にはならないかもしれません。

気持ちのどこかに響いて、乗り越える
小さなきっかけになればと思います。


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つづき
→体罰に勝て.2
  

Posted by ルーコ 井上美穂 │コメント(0)カテゴリ:自分のこと